2020年10月29日木曜日

些細なくだらないことの積み重ねで

 とあるSNSでブロックされていることに気づいて思った以上にショックを受けてしまった。

一度も会話したことがない、ということは、私の書いたものを読んで無理!!!!と思ったということだから。


去年の秋、全身ベージュマンだった時、ベージュのオールスターを買った。いい気になっていたところ、しばらくしてきょうだいが、ベージュのワークマンのシューズを嬉しげに見て?と履いていた。◯まむらでもそうなのだけど、コンバースの偽物っぽいスニーカーが死ぬほど嫌いだ。人が履いているのを見るのも苦痛。

今日、とても感じの良い人がワークマンのそのシューズの色違いを履いていた。腐った茄子を口に詰められたように死にそうになった。私ってくだらねぇな。

allanwoollenmillesのニット、私は気に入って着ているのだけど、それが1万を超えたものには見えない。毛玉っぽくて。でも網目と色味が好きだ。

ベイクルーズで売られている今年のものは、日本過ぎて好みではない。

父が黄ばんだ色の白シャツを着ていた。そんな色のシャツを着るくらいなら、毛玉だらけのネルシャツを着た方がましだ。驚くべきことに、もともとそんな色なのだ。なんて趣味が悪いのだろう。何を考えたらそんなシャツに金を払おうと思うのだろう。趣味が悪いという自覚がないのだ。だから、人に頼まず躊躇なく自分で選ぶのだ。

そんな小さなこと、だから、それが何なのだろう。

人から見たら私だって趣味がよくないし、不愉快になる文ばかり書いている。

村上春樹の一人称単数とお弁当の時間が嫌いだったを途中で投げ捨てた。後者は、家族環境が辛過ぎて今は読むことができなかった。おそらくすばらしいエッセイなのだけど、辛過ぎる。モラハラの父親と自分が重なっていく。少し気を抜くと、時間通りにやらなくては、すべきだ、と考えがちだし、人にその考え方を押し付け気味だ。