自分にすごく疲れるときがたびたびあって
今がまさにそうなのだけど
もしかしたら許しってのが人生のテーマになってくるのかもしれない。これから数年。
友だちにされた嫌なことを、これが嫌だったと伝えようとしている。伝えなかったとしたら、これから先たびたび嫌なことを思い出して積もって嫌いになりそうだから。本当に自分に疲れる。流せばよくね?伝えて嫌われたなら仕方ないや。
友だちは、共通の元友だち(私は縁を切った)に私のセンシティブな問題を話したのだ。友だちにとってはそれはセンシティブではない内容なのだろう。そして、そのことを話すことで友だちのたよちゃん何してるの?攻撃から自分は守られるから話したのだろう。私はその問題が原因でパニック障害を患った。生きることに罪悪感を覚えるほど辛かった。
知らない人には話してないんだよねって言ったのに売るなよ。
売ったことを怒ってはいない。ただ知られたくない人に知られて嫌な気持ち。
あとね、当時辛すぎてただ話を聞いて欲しかったんだけど、友だちも辛い状況だったみたいで話してると遮られて自分をかわいそがったら終わりというようなことを言われた。たしかにプロに聞いてもらう内容だよ。でもいいカウンセラーに出会えなくて今に至る。そして友だちは私みたいにこれが辛かったという話をしない。尊敬するくらいしない。それかもしかしたら人間には話す人と話さない人の2種類いるのかもしれない。これが話したかったんだとよく言っているのでたぶん一方通行の関係ではないと思う。
なんとか乗り越えたけど、今日久々にその時の気持ちを新鮮に思い出せたよ。すべての思い出が引き出しにしまってあって、きっかけがあれば取り出せる。そのDVDを何度も見てるとたまらなくなる。当時は見るものがきれいであればあるほど生きてることに罪悪感を抱いていて呼吸の仕方がわからなくなった。下を向くと吐いたり泣いたりするから45度をみてたのに。
また追加録画されたDVDをみてると眠れなくなるからなるべく考えないように、でも友だちに伝える内容は整理してまた引き出しにしまおう。しまうべきだ。
過去の辛かったことを思い出しても何にもならないからやめた方がいい。それを教訓にしようとしても何度も思い返すような人はたぶんもう出来てるし。じゅうぶんだし。それよりも今手元にある幸せや未来の楽しみ、もしくは冷蔵庫の中にあるハーゲンダッツをいつ食べるのかに焦点を当てた方がずっと建設的だ
後日談
友だちに伝えたら、話してる最中に私が顔を顰めたからしまったと思ったと謝られた。うん、私わざとしかめた。ちょっと悩んでしかめて、伝えるか悩んで保留にした。謝られた内容は私が嫌だったことに沿っていて、これの何が嫌だったのかきっちり伝わってよかったと思った。そして謝罪の手紙までもらってしまった。
またこの内容は非公開にしたり公開にしたりいったりきたりにすると思う。読み返してもつらい。